パートナーシップの歴史
東京YMCAは1880年に発会したが、その草創期からの118年に及ぶ北米YMCAとの交流無くして今日の姿はない。この深いつながりを基盤に、ニューヨークYMCAと東京YMCAのパートナーシップは始まった。
1976年当時、日本の高度経済成長に伴ってニューヨークでも日本人社会が拡大し、様々な文化軋轢、特に日本人の異文化不適応の問題が増大して、日米のYMCAスタッフがこの調査にあたった。
1978年、高橋正太郎大使をゲストスピーカーに招いてニューヨークで開かれた北米YMCA主催の年次晩餐会に、当時の東京YMCA総主事
斎藤總衛氏と常議員会議長加美山節氏が出席、パートナーシップを結ぶ気運が高まり、1978年9月の常議員会で主事派遣が決定され、活動が開始された。
第一期(1979年~1981年)種蒔く時
本間立夫氏がニューヨークに着任後、現地の駐在員、日本人学校などのつてでレイマンを発掘し、アドバイザリーコミッティーを組織。主婦対象のフィットネスプログラム、日本人学校の生徒を対象とした水泳プログラム、サマーキャンプ、スキープログラム、クリスマスの家庭訪問を始めた。財政的にはニューヨークYMCAとの連携のもとに支えられた。
第二期(1982年~1984年)成長期
サマーキャンプの場を、ホリデイヒルズからフロストバレーYMCAキャンプ場へ移した。これとともにキャンパー数の拡大が図られた。1982年から本間恵美子氏がそれまでのボランティアとしての関わりから正式なスタッフとして加わり、プログラムが大幅に拡大した。83年には5周年の記念パーティーが開催された。
第三期(1985年~1987年)発展期
財政基盤の確立のため、資金集めのためのベネフィットコンサートが始められた。現地の日本企業の支援を受け、1万ドルの資金を集めた。また同時に活動資金を得るためのアニュアルディナーも開始された。サマーキャンプがグレーターニューヨークYMCAのProgram
Exellenceを受け、ニューヨークYMCAの中でも高く評価された。
第四期(1987年~1989年)充実期
現地パートナーシップの委員である山根正彦氏が、日本人として初めてニューヨークYMCAの理事に選任され活躍した。サマーキャンプを通してのリーダー養成も益々充実し、高い評価を受け、同志社大学の黒木保博助教授により『フロストバレーの子どもたち』(ミネルヴァ書房 1990)という本にまとめられた。1989年にはマンハッタンにあった事務所を日本人居住区のホワイトプレーンズYMCA内に移すことができ、ますます地域活動がしやすい環境が整った。この事務所は1997年まで続く。
第五期(1990年~)トライステイトパートナーシップへ
ニュージャージー、コネチカット、ニューヨークの3州にまたがり活動を続けてきたパートナーシッププログラムは新たな展開を見た。1991年より1997年までを1期とし、トライステイトパートナーシップが締結された。すなわち、東京YMCAとホワイトプレーンズYMCA、フロストバレーYMCA、ニューヨークシティYMCAの3つのパートナーシップがグレーターニューヨークYMCAとの間に結ばれた。実質的なパートナーシップの運営とスタッフは東京-フロストバレーYMCAパートナーシップが担うことになった。全体としては3州にまたがる地域の日本人、アメリカ人の関係を促進することを主眼としたものの、実質的にはフロストバレーYMCAとの関係が促進される結果となった。東京-フロストバレーYMCAパートナーシップに関するアグリーメントが確認され、現在に至っている。